古代ギリシャの寓話である「アリとキリギリス」。その内容は、一体何を意味するのでしょうか?また、どんな教訓があるのでしょうか?あらすじやどういった場面で使えるのかなど、ご紹介します。
「アリとキリギリス」の意味や教訓とは?
子供のころに誰しもが読んだことがあるイソップ童話の一つであるアリとキリギリスには、深い意味や教訓が隠されています。
- 楽をしてばかりいると後で大変なことになる
- 苦労をした後には報いがある
楽をして大変な目に合うのがキリギリスで、苦労して報いを受けるのがアリというふうに、大きく分けてこの二つの意味があり、先を見据えてこつこつと備えることの大切さ、働くことの大事さを説いているお話です。
一般的にキリギリスは怠け者、アリは働き者という解釈に落ち着きますが、実はアリとキリギリスの結末は全部で3つあり、結末によってさらに違った意味や教訓があるので、あらすじを交えながらご紹介します。
「アリとキリギリス」のあらすじ
夏の暑い最中、キリギリスはバイオリンを弾いて好きなことをしてばかり。それに対し、アリは冬の食料を備蓄するためにコツコツと毎日働いていました。冬が到来し、食べる物がなくなってしまったキリギリスは、困り果ててアリに食料を恵んでほしいと懇願します。しかし、アリは拒否をし、そのままキリギリスは凍え死んでしまいました。
これが元の結末になります。最後のキリギリスに対するアリの対応が違う結末が以下です。
「アリとキリギリス」の結末①
キリギリスは、アリに「どうか食べ物を恵んでください」と懇願すると、アリは「いいですよ。そのかわりにキリギリスさんのバイオリンを聴かせてください」と交換条件を出してきました。キリギリスは涙を流して喜んで快諾し、食べ物を恵んでもらいました。キリギリスがバイオリンを奏でるとアリ達は楽しそうに聴いていました。その次の年からキリギリスは、真面目に働くようになりました。
このように、お互いが幸せな気持ちになり、ハッピーエンドで終わっています。この結末からわかる意味と教訓は次の通りです。
- アリの対応:困っている人がいたら助けなさいという意味がこめられていて、人を助けられる心の豊かさや優しさが大事だということを説いています。
- キリギリスの対応:助けてもらったら必ず何かしらお返ししなさいという意味で、助けてもらったありがたみと感謝の気持ちを忘れないことの大事さを説いています。
「アリとキリギリス」の結末②
食べ物がなく困っているキリギリスを見てアリ達が「あんなに楽しそうに歌っていたなら、冬も歌ったらいいじゃないですか」と、皮肉を言いました。するとキリギリスは「もう歌い尽くした。君達は、僕の亡骸を食べて生き延びればいいよ」とアリ達に言い、そのまま息絶えました。遊んでいるだけに見えたキリギリスは、自分の死を覚悟して、最後まで全力で楽しむことに余力を注いだと言えます。この結末からわかる意味と教訓は次の通りです。
- 命は儚いものだから、1日1日を悔いのないように生きることも選択肢の1つということを意味しています。生きることの難しさ、命を大事にするということを説いている結末です。
アリとキリギリスの内容や使い方
結末が変わると意味が違ってくるので使い方も変わってきます。1つずつ見ていきましょう。
アリがキリギリスに食べ物を分け与えない結末の場合
- 「勉強しないで遊んでばかりいるとキリギリスみたいになるわよ!」
このように子供に勉強してほしいときによく使われます。
アリがキリギリスに食べ物を分け与え、キリギリスが改心する結末の場合
- 「アリさんのように、自分たちだけじゃなく、困ってる人に優しくしなきゃダメよ!」
- 「キリギリスさんみたいに感謝して、改心しなきゃダメよ!」
アリとキリギリス両方の良い点をあげて使うことが多いです。これらの結末では、主に子供に対して諭す意味で使われます。
キリギリスが最後に生き方を語って息絶える結末の場合
- 「好きなものを好きなだけ食べて死ぬなら本望。私はキリギリスと言われてもかまわない」
この結末は、キリギリスの「生き方」を説いているので、思うままに生きてみたいという願望のときに、例えとして使われます。
イソップ童話から学ぶ様々な教訓
アリとキリギリス以外にも様々なことを説いているお話があります。真実を打ち明ける勇気の大切さ、寛容な心はたくさんの信頼関係を築くことができるということを説いたお話である「王様の耳はロバの耳」は、アリとキリギリスに並ぶ有名な童話の1つです。イソップ童話の教訓を深掘りしてみると、新しい発見があるかもしれませんね。
まとめ
イソップ童話のアリとキリギリスの意味や教訓について、それぞれの結末に沿ってご紹介しました。この童話は、アリにとっての幸せと、キリギリスにとっての幸せを語っています。生き方の違いや、価値観の違いというとても考えさせられる深い話だと思います。どちらが悪いわけではなく、いろいろな考えや生き方があるということを改めて感じました。