【Netflix】雪山の絆は実話?実際の事件や航空機事故の詳細を解説!

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【Netflix】雪山の絆は実話?実際の事件や航空機事故の詳細を解説!

Netflixで配信されている映画「雪山の絆」。同名小説が原作で、極寒の雪山に放り出された生存者たちの極限のサバイバルを描いています。第96回アカデミー賞「国際長編映画賞」にノミネートされるなど話題作となりました。そんな「雪山の絆」は実話だと言われているのですが本当なのでしょうか?また、実際の事件や航空機事故の詳細も解説します。

目次

雪山の絆は実話?

「雪山の絆」は実話です。1972年、ラグビー選手団を乗せてチリに向かったチャーター機がアンデス山脈中心部の氷河に墜落するという大惨事に見舞われました。乗客45人のうち生き残ったのは16名のみ。世界で最も過酷な環境のひとつに身を置くことになった生存者たちは、72日間生き延びるために究極の手段を取らざるを得ないことになっていきます。72日間をどのように生き延びたのかを、実際に感じてみてください。

雪山の絆の実際の事件とは?

「雪山の絆」のモデルになったのは1972年に起きた「ウルグアイ空軍機571便遭遇事故」です。ウルグアイのラグビーチームを乗せた航空機がリチのサンティアゴに向かう途中にアンデス山脈に墜落、乗員乗客45人のうち16人が事故後72日間にわたって雪山の過酷な環境のもとで命を繋ぎ、生還したという軌跡のような実話です。しかし、同時に生存者が死者の人肉で飢えをしのいでいたことを巡り物議を醸すことになりました。

雪山の絆の航空機事故の詳細を解説!

「雪山の絆」は航空機事故がモデルとなっています。その航空機事故はどのような状況から墜落することになったのか。ここでは航空機事故の詳細を時系列で解説していきます。

1972年10月12日

ステラ・マリス学園のラグビーチーム「オールド・クリスティアンス」の選手団とその家族、友人ら40人と乗員5人を乗せたウルグアイ空軍機571便は、モンテビデオにカラスコ国際空港を出発しましたが、アンデス山脈での天候不良のため、アルゼンチンのメンドーサで一泊することになります。

1972年10月13日

天候が回復したため、航空機は午後にメンドーサを離陸し、アンデス山脈を越えてサンティアゴへ。飛行機は上昇可能高度の上限が9,000mであったこと、また悪天候も重なり、山脈の切れ目であるプランソンを通過するルートを選択しました。しかし、パイロットは向かい風で機体が減速していたにも関わらず、通常の通過時間で判断してしまい、山脈の西側に到達する前に北上を開始。これが後に致命的なミスであったと判明します。

事故発生

機体は雲の中へ突入し、まもなく無名の峰に一度目の衝突。吹き飛んだ右翼で垂直尾翼が切り取られ、胴体後部に穴が空きました。その直後に別の峰に二度目の衝突をしたことで、左翼もなくなり、機体はただの空を飛ぶ胴体だけに。機体は飛んできたプロペラによって切り裂かれたのちに、地面に衝突し、険しい崖を滑落して最終的に雪に埋まり停止。乗客3人と乗員2人が機外に放り出され、9人が即死し、負傷が元で初日中に3人が死亡、その後も17人の死亡が確認され、最終的な生存者は16人となりました。

最後に

今回は「雪山の絆」のモデルとなった実話の事件や航空機事故の詳細を調査してきました。45人のうち29人が死亡するという大惨事となった航空機事故を基に16人の生存者が奇跡の生還を果たすという作品で、生還するまでの72日間をどのように生き抜いたのかがこの作品の見どころとなっています。劇中には目をそむけたくなるような場面もあるかと思いますが、興味がある方はぜひご覧になってくださいね。

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